【本のレビュー】人生の目的の見つけ方(勝屋久)~自己否定に悩む人に。

きっかけ

おそらくアマゾンのレコメンド機能で表示されていて、タイトルにひかれたのだったと思う。

「人生の目的」、確かに僕に大きく欠けていて、それがないために日々圧倒的な「不充足感」にさいなまれている。

わらにすがる思いで購入した。

著者

勝屋久氏は、肩書から言うと上智大学工学部卒業後に日本IBMに25年間勤務。退社後は「プロフェッショナルコネクター」という肩書のもと、ベンチャー企業の支援に関するコンサルタント的な仕事をしていて、数多くの会社の社外取締役や顧問となっている。

卑屈な僕に言わせると、日本IBMに入社し、25年も勤務した時点で、人生の勝ち組と言わざるを得ない。筆者は社会人時代は「本音」では生きておらず、出世レースにも敗れ、最後にはリストラされた、とあるが、やはりスタート地点が違うということは認識せざるを得ない。

概要

ざっくりいうと、「自分の心が純粋に求めるもの」をベースにする、「自分のハートとつながる」といった感じの論調で、小手先のテクニックではなく、心の在り方についての議論が中心になっている。

また著者自身の体験をベースにしており、リストラや離婚、出会いや成功の過程とその時々の心の動き、考え方の変化などが大きな流れになっている。

大きく分類すると、本田健や堀江貴文系の、「好きなことを仕事にする」「本音で生きる」スタイルの本だ。

本田健や堀江貴文と違うのは、勝屋久という著者がそれに目覚めたの時期が、IBMを退職した48歳以降だということだろうか。

それ以前には人並みに凡人が感じるような悩みは人生の生きづらさを感じていたようで、それらの経験については同感、納得感、理解、が感じられる。

結局のところ、「自分は今、何を感じているか?「今、どうしたいか?」ではなく、自分の本質の外側にまとった「観念のフィルター」を通してすべての選択をしてきただけだった。

引用

役割で生きるのは限界がある。

。。。ただ役割だけでは限界がある。そして役割でうまくいったことは、結果に対しその瞬間はイベント的に喜べるが、自分の本質とつながっていないため、本当の意味での自分の喜びにはつながらない。。。ビュアな欲求と情熱。ここにつながれるのは僕自身であり、役割の自分ではない。

「役割」と言っているのは、会社の担当であったり、家庭での親や配偶者という立場であったり、一市民の納税者や勤労者という立場のことだ。

ここをよく考えてみると、僕は「親」としても役割だけを生きていて、そこには全く本音がなく、欲求も情熱も感じていないのではないか。

僕は子供が欲しくてほしくて仕方がなかった。

現に子供がかわいい時はほんとうにかわいいけれど、扱いに困るときや子供優先で何かをしなくてはならないときには、ものすごく自分への抑圧感を感じている。

それが正しいのかどうかわからないが、自分の本質、「ピュアな欲求と情熱」などを押し殺しているのは間違いないだろう。

子供が駄々をこねたり、大人の社会通念上許容されないことをしたときに、心からイライラして怒鳴りたくなるところを無理やり抑えたりする。

本当は一人で出かけて自分の趣味に浸りたいときに、子供の相手で公園につきあったり、家の中で遊びたいという子供に付き合ったりしている。そういう時には心底「不充足感」を感じる。

どうしても欲しくて授かった子供に対して、このような感情しか持てないなんて、本当に信じられないことだし、授けてくださった神様を裏切る以外何物でもない行為だし、そもそも子供に対してあまりにも悪影響を与えかねない。

親としての役割だけを考えているとこういうことになる。

しかし一方で、じゃあピュアな欲望や情熱を持ちながら親としての役割をどうやって果たしていけるのか、これはまだまだ分からないことだらけだ。

社会や人の目が自分の主軸となる。

(教育システムの枠にはめ込まれることで)いつの間にか、「自分がどうしたいか」よりも周りの人にとっていい人でいること、受け入れてもらえる自分を作ること、つまり社会や人の目が自分の主軸となっていた。

これはまさに僕が子供のころからどっぷりはまってしまったワナだ。

著者にもそのような経験があり、それに長く苦しんでくることがあったようだ。

親にとっていい子供であるべき、教師にとっていい生徒であるべき、友達にとっていい人であるべき、会社にとって役立つ社員であるべき、部下にとって素晴らしい上司であるべき、家族にとっていい父親であるべき。

今の僕を形作っているものはすべてこういう他者目線の自分だ。

そして今の僕を苦しめているのもすべてこういう自分であり、自分がやりたいと思うことをすでに感じることもできなくなってきている。

その結果、そのストレスを人からエネルギーを奪うことで解消しようとしてしまうらしい。

それを「コントロールドラマ」というらしく、4つのタイプが紹介されている。

自分を客観視すること、自分を許していくこと。

勝屋久「人生の目的の見つけ方」KADOKAWA 109ページ

僕は典型的な受身的なタイプで「被害者」と「傍観者」を使い分けている。

。。。ドラマから降りるには。。。まず気付きを持つこと、そして自分がどの立ち位置にいるか認識すること。。。本当に根気良く、注意深く、丁寧に生きることが必要だ。この地道な積み重ね以外にたどり着く方法はないのではないかと感じる。

この「気づき」という言葉にあるように、この本の教えは基本的に「マインドフルネス」に置き換えられる部分が多い。

しかし苦しんだ(らしい)筆者がそういうのであれば、マインドフルネスに心の問題を乗り越えるための大きな力があるのだろう。それを信じていくしかない。

この部分も同じようなことを言っている・

罪悪感と自己否定は自分の人生を生きる上で足を引っ張るものであり、かつ、思考が作り上げた虚像だ。だけど、僕に限らず、無意識にそこに陥って苦しむ人をたくさん見てきた。でもそんな自分を客観視できるようになること、たとえ陥ったとしてもそんな自分を許していくこと。その繰り返しで自分のエネルギーを下げるストーリーから必ず抜けられるのだ。

ただ僕には、「自分を許していく」というところがいまだによくわからない。

罪悪感や自己否定はいつも感じるが、それは自分を許していないから、ではなくて、世間の目から見てこのような人間は不要だろう、という客観的な視点で感じているもので、残念ながら認めざるを得ないというものだ。自分を許すとか許さないという問題ではない。

この「自分を許す」というのがどういう感覚なのか分からないと、僕は救われないということだろうか。

心の傷自体がギフトとなる

「心の傷自体がギフトとなり、人生の目的の実現を助けてくれる」フレデリック・ラルー(ディール組織)

これは引用の中の引用だが、この本での一番の救いと言えばこれかもしれない。

具体的に何を言っているわけでもないけれど、「心の傷」が「助けてくれる」かもしれないという言葉の救い、そこに意識を向けていれば何か将来につながるかもしれないという希望。具体的に語っていないからこそ、希望を限定しない効果がある。

読後感

著者の言う「自分とつながる生き方」ができなければ、十分な幸福を感じたり、納得のいく人生を過ごすことはできないだろうということは、よくわかった。

そのために、自分の本音を呼び起こし、それに忠実に生きていく必要があるということもよく分かった。

この辺りは、ほかの自己啓発本などでもよく書かれているので、知らなくはない。

今回この本を読んで、やはり今の僕に決定的に欠けているのは本音を出すことだったり、自分を抑え込まないことだということを痛感した。

途中で引用した自分の「役割」に自分をはめ込みすぎて、まったく身動きできなくなり、メンタルが崩壊しつつあるということだ。

著者の場合は、そもそも「人をつなげる」という、価値のある稀有な才能を持っているため、会社にしがみつかなくても生活をしていくことが可能になった。

しかし、本当にこのような才能を持つ人ばかりなのだろうか。

最終的にはやはりここに戻ってきてしまう。

もともと社会的に無能力な人間が単に本音を出して何か行動したり発言したところで、それは会社や社会から放逐されるだけのことだ。

プロとしてやっていけない野球選手が、自己流にこだわって結果も出せずに首になるのと一緒だ。

この辺りをどう考えているのかということを、著者には本当に聞いてみたいと思う。

「人生の目的の見つけ方」と題するには、やや方法論に欠ける感が否めない。


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