江戸の町に興味を持ち始めたのは、ほんの半年ぐらい前のような気がする。
図書館で借りて読んだ、「居眠り磐音江戸双紙(佐伯泰英)」の江戸の暮らしや町並みにひかれていったのがきっかけだ。
ちなみに居眠り磐音シリーズは、メルカリで51巻の全巻セットを買ってしまった。
急いで読むともったいないので、週に1冊ぐらいのペースでゆるゆると読んでいる。
10巻目まで読んだが、面白さは衰えることなく、江戸の暮らしにもますます興味が高まっている。
この年になって新しい趣味が誕生した感さえある。
そういうわけで、江戸の町の名残を追って街歩きをしてみたいという欲望がふつふつと沸きあがっている。
今回はその第2弾として、両国橋近辺へ出かけた。
まずは総武線の浅草橋で下車して、神田川沿いを隅田川に向かう。
朝の6時ごろの、浅草橋駅付近の空。

日の出前の空のグラデーションが美しい。
そして神田川に映るその空の様子もまたいい。

この辺りですでに、興奮と感動で胸が満たされてくる感触を味わっていた。(とは、普通は感じないと思う)
ちなみにこの向こうに見える緑色のライトアップをされた橋は、柳橋。
そう、居眠り磐音シリーズでもたびたび登場する、両国広小路から北へ向かうときに神田川を渡る、その柳橋だ。
これだけでも、すばらしい。(とは、普通は思わないと思う)
この神田川の両岸には、屋形船の運航をしているらしい船宿のような店があるのだが、その風情が、東京のど真ん中とは思えないほどいい味を出している。

そしてやってきた隅田川沿い。
ここが両国橋の西側に広がる、現代の両国広小路。居眠り磐音シリーズではここに両替商今津屋がある。

と思っていたら、あとで分かったことだが江戸時代の両国橋というのは、これより約50m下流にかかっていたそうで、だから今津屋があったもの、実際にはここではなくて、同じく50m下流のほうだということになる。(実際に今津屋という両替屋はなかったと思うけど)
両国橋を渡りながら上流を見ると、スカイツリー。まだ明けきらない隅田川の鉄橋を総武線の電車が渡っていく。

だいぶ明るくなってきたけれど、まだ朝日は出てこない。
両国橋を渡り切った後に出てくる町並みにもいささかの情緒が感じられた。

そうして再び両国橋のたもとに戻り、案内地図を見てみると、

えー、こんなに見どころおおい場所?と驚く。
有名な相撲部屋が点在しているし、なんと赤穂浪士討ち入りの現場である吉良邸もある。
とりあえず、話によく出てくる堅川に向かって歩いてみる。
やはり風情のある建物が点在。



そしてこれが堅川。頭上を走る高速道路が残念ではあるけれど、心だけは江戸時代を想像して、ここを歩く町人や武士を思い描きながらしばらく川沿いを歩いた。

相撲部屋のそばもいくつか通ったものの、特にそれらしい雰囲気はなく、ただ外観に配慮された建物に目が行った。

そして行き着いた、吉良邸襲撃の現場。

この辺り一帯の広大な敷地が吉良邸だったということだが、この一角だけにその面影が保存されている。町内の有志により、昭和9年に史跡公園として整備され、東京都に寄付されたらしい。
こういう人たちの行いには本当に感謝したい。
この一角があるおかげで、かろうじてではあるけれど、江戸時代の雰囲気を頭の中で想像し、ここで起こった生々しい事件の様子さえ、思い描くことができる。
中はこのような感じ。本当に小さな一角ではある。

その後、一帯をぶらぶらと歩き、両国橋をまた東詰めへと渡って、今度は隅田川沿いに両国橋の下をくぐり、総武線の鉄橋に差し掛かったころ、朝日が顔を出してきた。

とりあえず、ここまで。
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